(※2017年4月21日再更新)

脱奴隷ライフ!管理人Navatar です。

以前に一部の脱奴隷メンバーの方だけに公開していたブログ記事を公開したいと思います。

今回取り上げるブログ記事は、こちらの記事です。


電通に入るようなエリート層は「降りたら死ぬ」ゲームを生きている http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/10/15/102629

ここまで成功してきた人は死にもの狂いで頑張ってきたからこそ「ゲームを降りる」ことができない。これまで10倍、100倍の難関を潜り抜けたのだ。今さら普通に過ごしてきた人たちのような暮らしを選ぶことは、努力をフイにするのと同じ。降りることは社会的な死を意味する。

テーマ的には、タイトルにあるエリートというところにフォーカスしたいと思います。
エリートがいるということは、非エリートといわれる人もいるわけです。

引用元の記事では、電通に入社できる人のことをエリート層と表現されていますが、自分個人としては、電通のような洗脳殺人広告代理店はろくでなし企業と思っていますので、ろくでなしの6流企業に落ちぶれてしまったと認識しています。

実は電通という会社の危険性は、今回の電通過労死事件が起きる前にも書籍などで、問題点が指摘されていたのです。

つまりのところある程度ちゃんとリサーチしていれば、世の中的にはイメージのいい電通という会社の内情は別にCIA職員並みの調査能力がなくても、今の時代インターネットと書籍などの情報だけでも余裕でわかるわけです。

インターネットが普及してなかった時代であれば、情報の専門家でないとそういうリサーチも難しかったかもしれませんが。

まぁ今でも電通は日本のマスコミを実質的に仕切っているので、東京大学を卒業できるくらいの頭脳を持ってる人たちでも、もしかすると洗脳することができるのでしょうか。

15


確かに世の中一般のイメージとリクルートが出している企業情報をそのまま信じてしまうと、電通が超一流企業であるという認識ができあがるのかもしれません。

しかしそもそも世の中一般のイメージを作っているのが、マスメディアを牛耳っている電通で、その電通でビジネスをしている電通パーソンをよりよく魅せているのがリクルートなのではないかという陰謀論をどうしても考えてしまうのですが、どうでしょうか。

サラリーマンマインド

電通に入るようなエリート層は「降りたら死ぬ」ゲームを生きている 

引用した記事では、電通に内定=エリート層

と書かれているようです。

しかしこれだけインターネットデバイスが普及した時代に、わざわざ電通に入社しようとする時点でどう考えても正直エリートとはいえないでしょう。

一般的に世の中で良いイメージが保たれている会社って、テレビメディアなどのマスコミを牛耳っている電通のクライアント企業もたくさん入ってるわけですし・・・

電通がマスメディアを使って、 これが世の中で良いと思われているモノですよ!っと広告を出してくると、さもそれが良いモノであると、大衆は思うものです。

例えばリクルートが電通パーソンの働き方が素晴らしい!という情報を出せば、さもそれが素晴らしい働き方であることがわれわれのマインドに刷り込まれてくるわけです。

あれ?日付がまわってまで会社で残業してるのって、おかしくないか?って疑問に思っても、世の中に広告されて、周りの人々がその広告に騙されて、その働き方いいね!、それこそ1流ビジネスパーソンって思ってると、自分もそれに知らず知らず従ってしまうのです。

まぁ上記の例はかなり極端な例ですが、自分がそれはおかしい!と感じていても、周りがそれに従っていると、自分もそれが当たり前だと感じてしまい、いつの間にかそれが当たり前になってしまうのです。

会社などの閉鎖的な情報空間だと、特にそういう傾向になりやすいと思います。

明らかに非生産的な仕事に陥っていたとしても、それに従わざるおえないでしょう。

それが例え東京大学を卒業している世の中的にエリートといわれている人でも、その情報空間では手も足も出ないのです。

今回の電通過労死事件は、それを証明してしまった事例だと思います。

会社以外でもインターネットで様々な情報のやり取りができるようになった時代になっても、やはり会社という閉鎖的な情報空間に所属してしまうと、まるで鎖につながれた奴隷のような行動をとってしまう事が明らかになりました。

奴隷人イメージ図


自分自身の生死すらも会社にコントロールされてしまうわけです。

今回の事件の場合は、電通という会社でしたが・・・

このように自分自身の意思とは反することを会社で毎日しなければならないという状態になると、エリートといわれている人でも完全に奴隷マインドへとなってしまうでしょう。

日本では、いい大学(受験偏差値の高い大学)に入り、いい会社(電通、リクルートの洗脳)に入ると、エリート層といわれるようです。

他にも年収の高い職業(コンサルや金融)や国家資格がないとできない士業、公務員なども一般的にエリート扱いされるようです。

エリート層がいるということは、逆に非エリート層も存在するわけです。

まぁマスコミなどの報道でどのように人々が扱われるかは私にはコントロールできませんが、個人的には人に優劣をつけるようなエリート、非エリートという階層分けは好きではないです。

自分が価値があると思ってやっている職業が赤の他人の集団のマスコミに勝手に価値付けされるのは、普通は嫌だと思います。
 
個人が勝手に他人の職業の価値をある程度判断するのは、その人の価値観なので別にそこまで問題はないとは思うのですが、マスコミなどの社会的影響力がある会社が勝手に価値判断を決めるのは、おかしいと自分は思うのです。

自分と相手の能力を比べて、優劣を比較するというマインドが慣れてしまうと、他人評価に振り回されてしまう生き方になってしまうと思うのです。

自分自身への自己評価の高さより、相手がどれだけ自分を評価するかという生き方は奴隷的な生き方であると思います。

マスコミや世の中の情報に踊らされて、エリートか非エリートかで自分自身を評価してしまうと、どんどん奴隷マインドになっていくと自分は感じています。

今回の電通過労死事件の事例だと、被害者の女性社員は自分は東京大学を卒業して、電通に入社できるほどの能力があるから、現状の厳しい環境も耐えて、乗り越えられるに違いないというマインドになっていた可能性もありえます。

しかしそれは、あくまでも過去の実績を元にした自信なので、新しい問題を解決する時には、逆に解決方法がまったく見えなくなる可能性もあります。

また東京大学を卒業して、電通に入社というのはエリートであるという自己認識は実は他人評価を元にしたものなので、これでは自己評価があがらないと思います。

仮に上司や同僚などの他人が

「東京大学を卒業してるんだから、これくらいの仕事はできて当然だろ!」

みたいな他人評価をされてしまうと、本人の自己評価は下がってしまうと思います。

なので、過去の実績や他人評価の高さをベースに現状の問題に取り掛かると、まったく解決が見えなくなると思います。

今回のブログ記事では、過去の実績と他人評価の非常に高いエリート層を目指すことの危険性を論じてみました。

一般的にエリート層といわれる方々はキャリア、評判、年収、学歴などが高い傾向にあるので、奴隷マインドに陥りやすいという結論になります。

学歴、キャリア、年収などの他人評価を追い求める奴隷マインドではなく、自分自身の価値を認めていく脱・奴隷マインドの必要性が今回の電通過労死事件でより鮮明になったと自分は感じています。